日々のシステム運用保守業務の中で、「これ、自分じゃなくてもよくないか?」と感じたことはないでしょうか。
かつての自分はまさにそうで、ルーチン作業の繰り返しにやりがいを見いだせず、気持ちがどんどん離れていくのを感じていました。特に「やって当然」と見なされる仕事に向き合っていると、評価も実感も得にくく、自分の存在意義すら見失いかけたことがあります。
この記事では、そうした閉塞感のなかで少しずつ見方を変え、業務との距離感を取り戻していった過程をまとめました。
この記事を読むとわかること
- 「当たり前の仕事」との向き合い方をどう変えていけるか
- モチベーションの落ち込みにどう対処したか
- チーム内での役割を再定義する中で見えてきたこと
実務の中で手応えを失いかけたとき、ほんの少し見方を変えることで取り戻せた感覚がありました。そんな気づきを、同じような状況にいる誰かに届けばと思って書いています。
当時抱えていた“やって当たり前”の重圧
システム運用保守の案件に携わっていたとき、「いつもの作業、お願いね」と軽く頼まれる業務が、日々の大半を占めていた時期がありました。覚えてしまえば単調なルーチン。でも、それが欠ければサービスが回らないという自覚も、もちろんありました。。
とはいえ、どれだけ正確に対応しても、それが“当たり前の仕事”である以上、表立って評価されることは少ない。見えないところで支えている感覚はあっても、「やって当然」とされる空気のなかでは、自分の存在意義が揺らぐ瞬間もありました。
この「目立たないけど重要な仕事」をどう受け止めればいいのか——そんな葛藤を、抱えていた時期がありました。
地味だけど欠かせない業務が占める日常
システムの裏側では、ログのチェックやバッチの監視といった日常的な作業が静かに支えています。目立たないけれど、どれか一つでも止まればすぐに影響が出る──そんな繊細なバランスの上に成り立っているのが現場です。
# 定期バッチの確認スクリプト(cronで実行)
#!/bin/bash
LOG_FILE="/var/log/daily_batch.log"
if grep -q "ERROR" $LOG_FILE; then
echo "Error found in daily batch"
# 通知処理を追加するなど
fi
このスクリプトのように、障害を早期に察知する仕組みも必要ですが、それ以上に「継続的に動かし続ける」ことが求められます。コードを書くだけでなく、定期的に内容を見直し、運用に耐えられる状態に保つ。 でも実際には、こうした作業が話題になることはほとんどありません。何も起こらない日が続くほど、その価値が忘れられていく──そんな側面も、たしかにあると感じました。
感謝されないことへの不満と疑問
インシデントを未然に防げたとしても、特に何も言われない。むしろ、それが「正常運転」として扱われる。ある頃から、その構造に違和感を持ち始めました。
何かトラブルが起きたときほど注目が集まり、派手な対応は称賛されやすい。一方で、その前段の地道な積み上げは見えづらいまま。そういう役割だと割り切っていたつもりでも、「なぜ誰も気にしないんだろう」と思わずにいられない瞬間がありました。
もちろん、評価の軸は一つではない。ただ、何も起きなかったことを“何もしていない”と同義にされるのは、やはりどこか釈然としない。今も明確な答えは出ていませんが、ずっと頭の片隅には残っています。
毎日の仕事に意味を見出せなかった頃
「これ、別に自分じゃなくても回るんじゃないか」——そんな考えが浮かぶようになったのは、この頃だったと思います。業務自体はこなしていたけれど、どこか上の空で、集中力も持たない。気づけば、確認漏れや手順ミスが増えていました。
サーバの監視も、バッチの再実行も、全部“何も起きないようにやるもの”だからこそ、成果が見えにくい。誰かに評価されるでもなく、静かに終わる毎日が続いていく。
そのうちに、「これ、何のためにやってるんだろう」と思うようになって。糸が少しずつ緩んでいくような感覚が、じわじわと広がっていた時期です。
「誰でもできる仕事」と言われたくなかった
「それ、別に誰でもできるんじゃない?」と同僚に言われたとき、内心かなり刺さりました。確かに、手順通りにやれば誰でもこなせる作業ではある。でも、それだけで済まない場面があることも、自分なりに理解していたつもりです。
たとえば、ログに見慣れないパターンが出たとか、普段と少し違う反応があったとか——そういう“微妙な違和感”は、経験を積んでいないと気づけないことも多い。それでも、外からは「ただの作業」としか見えないのが現実です。
その見えない部分にこそ工夫や判断があるのに、それを伝える機会も少なくて。力のかけどころが分からなくなるような、もどかしさがありました。
やる気が湧かずミスも増えていった時期
気持ちがついてこなくなると、途端に集中力が落ちるのを実感しました。「あれ、さっき確認したっけ?」と自分に何度も問い返すような日が増えていって、タスクをうまく追えなくなる。
その結果、報告漏れや設定ミスがポツポツ出てくるようになって、あとから気づいては自己嫌悪。改善しようにも気力が湧かず、余計にうまく回らない。
今思えば、完全に悪循環に入っていました。問題が大きくなる前に何とかしたかったけれど、当時はそこに気づく余裕すらなかったと思います。
少しずつ変えていった関わり方の工夫
状況が劇的に変わったわけではありません。でも、「このままじゃ続かないな」と感じた自分が、少しずつやり方を見直していったのは確かです。
最初に意識したのは、“やらされている感覚”を少しでも減らすこと。手順を機械的にこなすだけじゃなくて、「どこを改善できるか」「無駄な確認はないか」と、自分なりの視点を持つようにしてみました。
大きな変化じゃなくても、小さな調整を積み重ねることで、仕事の見え方が少しずつ変わっていった。それが結果的に、自分の疲れ方にも違いをもたらしたように思います。
やらされ仕事から自分ごとに変える視点
ルーチンをただ“こなす”のではなく、少しでも自分の視点を混ぜてみようと考えるようになりました。「どうすればもっと手間が減らせるか」「気づいたことを仕組みに反映できるか」——そんな小さな問いから始めた感じです。
import subprocess
import smtplib
def ping_host(host):
result = subprocess.run(['ping', '-c', '2', host], stdout=subprocess.DEVNULL)
return result.returncode == 0
def notify_admin(host):
# 簡単な通知メール
print(f"Host unreachable: {host}")
hosts = ['192.168.1.1', '192.168.1.2']
for host in hosts:
if not ping_host(host):
notify_admin(host)
こういう簡単なスクリプトでも、自分で工夫して組んでいくと「これは自分の仕事だな」という実感が湧いてくる。単調に見えていた確認作業にも、少しずつ意味が乗るようになっていきました。
その結果、ほんの少しでも達成感を感じられるようになったのは、大きかったと思います。
チーム内での役割再設計が転機に
「誰でもできる状態に整えること」自体が、悪いことではない。むしろ、それが理想のかたちなのかもしれない——そう思うようになってから、業務の整理に少しずつ取り組み始めました。
ドキュメントを見直したり、手順を抜けなく書き出したり。属人化しがちだった作業を、できるだけ他のメンバーにも渡せるように整えていった。
すると、不思議なことに「引き継ぎやすくて助かった」と言われることが増えてきて。見えづらかった自分の役割が、少しクリアになったように感じました。
「できる人」がやるのではなく、「誰でもできるようにする」こと自体が、実は技術や経験の使いどころなんだなと、ようやく腹に落ちた感覚があります。
今の自分が感じる仕事への向き合い方
今もルーチン業務がなくなったわけではありません。むしろ、やっていること自体はほとんど変わっていないかもしれません。
けれど、その見え方は以前とはまるで違います。かつて感じていた「これでいいのか」という焦りや割り切れなさは、今はもう(あまり)ありません。
劇的な達成感があるわけではない。でも、「この仕事にはこの仕事の重さがある」と、自然と納得できるようになった。たぶん、あれこれ試した末にようやく落ち着いた、ひとつの視点なんだと思っています。
“当たり前”を支えることの誇り
何も起きずに一日が終わる・・。それがどれだけありがたいことかは、日々の地道な作業を経験して初めて実感できるのかもしれません。
裏側でちょっとした確認や調整を続けることで、トラブルを未然に防ぐ。派手ではないけれど、それが継続されているからこそ、現場が安定して動いている——今は、その「当たり前」に関われていることに、静かな誇りを感じています。
もちろん、誰かが見ているわけではないし、気づかれることも少ない。ただ、それでも自分の仕事がそこにあるという実感は、以前とは比べものにならないくらい、はっきりしています。
自分なりの価値を見つける習慣
今は、「昨日と少しでも違う視点を持つこと」をひとつの習慣にしています。大げさな変化じゃなくていい。たとえば手順の見直しだったり、ログの読み方を少し工夫してみたり、そんな小さなことでも構わない。
そうやって自分なりに見つけた改善や気づきが、気づけば周りにも伝わっていたりする。その連鎖が生まれる瞬間に、ほんの少し手応えを感じることがあります。
特別な成果じゃなくても、「自分なりの価値」を積み重ねていく感覚。それを持てるようになったことで、日々の仕事の温度も、ずいぶん変わってきた気がします。
まとめ:小さな工夫が日々を変えていく
ルーチン業務にやりがいを見いだせない時期は、きっと誰にでもあると思います。自分もそうでした。でも、関わり方を少しずつ変えていくうちに、「意味がない」と思っていた作業にも、別の価値が見えてくる瞬間がある。
自動化したり、手順を整えたり、役割を見直したり——そのすべてが、自分自身を少し楽にするための手段でもありました。そして今は、「目立たないけれど大事な仕事」として、自然と受け止められるようになっています。
日々をほんの少しずつでも変えていく。その姿勢だけは、これからも大事にしていきたいと感じています。